大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(う)3227号 判決 1957年3月11日

控訴人 原審検察官 三島徳右衛門

被告人 三沢光行

検察官 小西太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金弐千円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金弐百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収にかかる昭和三十年七月九日セントラルリーグ選手権試合内野席券二十四枚(東京高等裁判所昭和三一年押第一〇八五号の一)はこれを没収する。

理由

本件控訴の趣意は、大森検察庁検察官副検事三島徳右衛門提出の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを、ここに引用する。

よつて次のとおり考察をする。

物価統制令が、昭和二十七年法律第八十八号により同年四月二十八日以降特に法律としての効力を有するに至つたのは、わが国が平和条約の発効によつて独立国家として完全な主権を恢復するに至りたるに当り、新たなる観点から、同令は、その各所定事項の本質に照らし、国の社会経済秩序の維持ひいては国民生活の安定保持の上から、なお将来その有効な適用の必要を認めたからにほかならない。従つて同令第九条ノ二には、価格等は、不当に高価なる額をもつてこれを契約し又は受領することを得ずとあり、苟くもこれが規定に違反して取引する目的をもつて物品を所持するにおいては、同令第十三条の二第一項に違反するものとして、同令第三十五条所定の罪責を免がれないものと言わなければならない。

而して、右第九条ノ二にいわゆる「不当に高価なる額」であるかどうかは、取引当時若しくはその前後における同種物資又は類似物資に対する同令第三条所定の如き統制額又は公正な普通一般の取引として社会経済秩序維持の上から適正と認められる価格を基準として決せらるべきものと解するを相当とする。(昭和二五年(れ)第九七八号、同年一〇月二六日第一小法廷判決-最高裁判所判例集第四巻第一〇号二一八九頁-参照)。

今日娯楽の利用は、国民日常の文化生活における実際として無視さるべきでないものがあり、その機会は、すべての者に均等でなければならない社会的必要の下に在るものと言わなければならない。すなわち、給与の尠い一介の勤労者と雖も金銭収支の計画に基き僅かな支出を覚悟して適切と思料する時刻に娯楽場の窓口に立つときは安易に入場券が買えて野球競技等の見物を満喫するの機会を万人と共に等しく持つということは、そうした人達のまことに多い而してまたそうした快的な娯楽利用の機会があつて然るべき今日の社会において欠くべからざる重要な生活秩序たることを失わず、従つてまた、給与の尠い者の喜びが安易にそして快的に獲得されるがためには、右窓口における入場券本来の価格こそは斯うした娯楽利用に伴う社会生活全般の問題として維持されなければならない一連の経済秩序における適正にして而も不当ないしは没義道な手段により、より以上にたやすく釣り上げられてはならない価格であると言わなければならない。

いわゆるダフ屋なる者は、本件記録によつても窺われるように、演劇、映画、運動競技等の切符ないしは入場券を予かじめ買い占めておいて、その窓口販売の売切による観客の困窮に乗じ、切符ないしは入場券本来の価格を不当に釣り上げて高く売りつける一種の闇屋であつて、こうしたダフ屋の所為は、恰も戦時中或いは戦後において米麦、酒類、木炭等物資の不足、消費者の困窮に乗じて行われた営利飽くなき取引においてその統制額にかかわらず価格を無暗に釣り上げ、もつて物価の安定に大なる支障を醸すに至つた闇取引とその本質において殆んど異るものなく、ダフ屋の右の如き価格の釣上取引は、それ自体物価統制令第九条ノ二にいわゆる「不当に高価なる額」をもつて取引したものというべく、これが取引をもつて、私的自治ないしは契約自由の原則に従つた自由にして適法な契約であるとしてこれをたやすく看過すべき筋合ではない。

記録によれば、

被告人は、いわゆるダフ屋であるところ、ダフ屋の商売として昭和三十年七月九日東京都文京区春日町後楽園野球場前電車通附近路上において窓口における正規の販売価格一枚二百円の同球場の右同日附セントラル、リーグ選手権野球試合内野席券二十四枚を一枚二百五十円ないしは三百円位の価格で売り渡そうとして所持していたものである

ことが明白であるから、その所為が、物価統制令第九条ノ二にいわゆる「不当に高価なる額」をもつて取引する目的で物品を所持していたものであることに該当することは上来説明するところに照らし自ずから明らかである。されば、被告人の右所為は、物価統制令第十三条ノ二の規定に違反するものとして同令第三十五条所定の罪責を免がれないところ、原審は、右事実と同一趣旨の内容を有する本件公訴事実を認めながら、被告人の意図した本件観覧券の取引価格は、物価統制令第九条ノ二の不当に高価な額に該らないとして被告人の本件所為につき被告人を無罪としたことは、同令第九条ノ二及び第十三条ノ二の各規定の解釈を誤まりたるの結果、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤を冒したものというのほかはないから検察官の論旨は、結局において理由あるに帰する。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)

検察官の控訴趣意

原判決は、法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。

(一) 原判決は、被告人が、営利の目的で、後楽園球場における職業野球試合内野席観覧券二百円のもの二十四枚を不当に高価である一枚二百五十円で他に売渡す目的をもつて所持していたとの公訴事実に対し、被告人が、営利の目的をもつて、一枚二百円の観覧券を二百五十円ないし三百円で売渡そうとして所持していた事実を認定しながら、この価格は、物価統制令第九条の二及び十三条の二に規定する「不当に高価な額」には該らないものとして無罪の言渡しをしたが、その理由とするところは、「不当に高価」とは、同令第一条に規定する同令の制定目的に照し、物価の安定を阻害し、経済秩序に混乱をきたすおそれのある価格であることを要するものと解し、野球観覧のための費用のような娯楽費は、所得中の余剰金をもつて充てられるべき性質のものであるから、一枚二百円の観覧券を五十円ないし百円程度高い価格で取引きしても、物価の安定ないし経済秩序の維持に格別影響を及ぼすおそれはなく、このような価格は、「不当に高価な額」には該らないというのである。

(二) しかし原判決は、物価統制令の解釈を誤つたものであつて、到底容認することができない。物価統制令第九条の二及び第十三条の二に規定する「不当に高価な額」に該るか否かは、公正な普通一般の取引界における市場価格等を参酌した適正価格を標準として決定すべきものであつて(昭和二十五年十月二十六日言渡最高裁第一小法廷判決参照)、原判決の説くように、その価格による取引が行われた結果経済秩序に混乱をきたすおそれのある価格であることを要するものではないし、又野球に限らず劇、映画の観覧のような健全娯楽に属するものは、一般国民の文化生活、精神生活上極めて重要、不可欠であり、これ等を観覧するための入場価格の如何が一般国民の経済生活に与える影響は、軽視できぬものがある。原判決は、娯楽費の如きものは、所得中の余剰をもつて充てられるものであるから、観覧のための入場価格の如何は、経済秩序に影響を及ぼすおそれはないとしているが、その立論自体が物価統制令の立法趣旨とは無関係であるばかりでなく、今日における娯楽費は、寧ろ、衣食住の費用と同様の生計費を形成しているものと申すべきであつて、本件の如き観覧券の通常取引価格以上の価格による取引が許される場合において、その国民の経済生活に及ぼす影響は無視し得ないものがある。これは経済秩序の維持上到底放置さるべき事ではない。

(三) 物価統制令第九条の二及び第十三条の二に規定する「不当に高価なる額」という場合の「不当」とは、当該高価な額が正当な理由によるものではなく、不当なものである、という質的価値判断の概念であつて、著しく高価であるという量的判断の概念ではない。すなわち、通常の取引価格(適正価格)を超過した額による取引が行われた場合、該取引の実体が経済秩序維持の観点からみて容認できぬ不当のものであるときにはその額は、不当に高価であると解すべきことはその立言に徴して明白である。およそ、職業野球試合の観覧券あるいは劇場の入場券等の類は、本来その性質上流通証券ではないから、自らこれを使用して野球等を観覧する意図がなく、供給数量の限定性に基く売切れを予想し、当初から不特定人に対し窓口売渡価格を超過する価格で売渡して利益を得る目的の下に、予めこれを多数買入れて入手したうえ、観覧券の売切れのため当該野球試合等を観覧し得ない不特定人の窮迫に乗じ、これを高価で売り渡して利得を図るということは、社会経済秩序の保持上正当視すべきではあるまい。すなわち、かかる取引によつて招来せしめられるに至つた観覧券の窓口売渡価格を超過する額は、その多寡にかかわりなく、不当に高価な額といわなければならないのである。而して観覧券、入場券は、前記の如く本来流通証券でなく、転売等による流通を予想して売り出されているものではないから、窓口における売渡価格のみが通常の取引価格であつて、これが前記最高裁判例のいう適正価格であり、これを超過する額による取引が「高価」な取引であることは明瞭である。従つて、前掲記のような型態をもつて、窓口における観覧券の売渡価格を超過する額による取引が行われた場合においては、この取引は物価統制令第九条の二及び第十三条の二に規定する「不当に高価な額」を以てする取引に該当すると解さなければならない。なお、かかる取引をするに際し、観覧券、入場券等入手のため、仮に、長時間立ち並び或は第三者を使用して、特別の労力あるいは経費等を消費したとしても、以上のような取引は、社会経済秩序の許容しないところであるから、その労力ないし経費等は、正当に償われ得べき性質のものではなく、これを計算にいれて当該取引における価格が不当に高価であるか否かの判断をすることは誤りである。

(四) 被告人は、通称ダフ屋と称せられる各種入場券類の職業的ブローカーであつて、後楽園野球場における職業野球内野席観覧券二百円のもの二十四枚を入手したうえ、これを二百五十円ないし三百円で不特定人に売渡して利益を得る目的で所持していたものであり(被告人の司法警察員に対する供述調書及び検察事務官に対する昭和三十年七月二十日付供述調書の各記載参照)、この事実は、原判決も亦認めるところである。被告人のかかる行為が、物価統制令第十三条の二に該当するものであることは、叙上の説明によつて明白であると信ずる。

被告人は、本件と同種行為について、別紙判決例(一)記載のとおり、東京簡易裁判所において、二回にわたり、いずれも略式命令により有罪の認定を受けており、又東京地方裁判所に対し公判請求した他の被告人等に対する同種被告事件についても、別紙判決例(二)記載のとおり、いずれも有罪の宣告を受けて確定しているのであり、これ等の裁判実績に徴しても、物価統制令第九条の二及び第十三条の二に関する叙上の法律解釈に客観的正当性ありと申すべきであろう。

(五) 然るに、原判決は、本件につき、前記のとおり、法令の解釈を誤り、無罪の言渡しをしたものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明瞭であるから、到底破棄を免れないものと確信して本件控訴の申立に及んだしだいである。

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